2025/12/16 20:16
単身赴任2年目の6月に、母から電話があった。
「元気がなくて、とても心配なの。」
妻の様子がいつもと違うというのだ。
明日からの1泊2日、ぼくは担任している子たちと一緒に修学旅行の予定だった。
迷っている時間はない。
明日の用意を済ませて大急ぎで家を出る。片道3時間半の道のりは長く、家に着いたのは23時を過ぎた頃だった。
妻がいる部屋はもう暗い。
そっと玄関のカギを開けて部屋に入る。布団に潜り込んでいる妻がいた。
ちょっとした音や光に反応してすぐ目を覚ます妻なのに、すぐに目を覚まさなかった。
…。様子をうかがう。すると、
「あれ?なんでいるの?明日から修学旅行って言ってたのに…」
妻がぼくの気配に気づき、目を覚ました。
「帰ってきたよ。」
ぽんぽんと頭をなで、一緒に布団に入る。
安心したように妻はすぐ眠り始めた。
次の日の早朝4時。
ぐっすり眠っている妻を起こさないようにそっと布団を抜け出し、
ぼくは勤務先へとクルマを走らせた。
片道3時間半。
今が夏でよかった。
日の出が早くて、明るい道を走ることができるから。
不思議と、眠気は感じなかった。
下の息子のことで妻はよく悩んでいた。
異動してきて大分慣れてきたとはいえ、学校の仕事はとても忙しい。
平日は片道40分かかる娘の習い事の送り迎えもしていた。
ぼくが帰ってくる週末も、子ども2人をスイミングスクールに通わせていた。
体調もあまりよくなく、週に一度のペースで整体に通っていた時期も長かった。
この頃から、月に何度か下腹部に針が刺さるような痛みが走ると言っていたのだが
病院には行っていなかった。結局それが原因で2019年に手術をすることになる。
一緒に暮らしていれば…。
そう思う瞬間も場面も、多かった。
上の息子は高校生で、部活の大会や試合があると応援にも行っていた。
自分自身の体力も時間もギリギリの中、よく倒れずに暮らしていたと思う。
単身赴任生活1年と3ヶ月。
みんなに限界が近づいていた夏。
7月のある日、出勤のために身支度を整えながら何気なく見ていた朝のニュース番組の1コーナーが
ぼくの人生に激震を走らせた。
働き方改革をテーマにしたその番組に出演していたのは、パン屋の方だった。
大きくて丸くて濃い焼き色をしているそのパンを、ぼくは生まれて初めてみた。
それは「カンパーニュ」というパンで、薪を使って焼いているらしい。
身支度をする手が止まる。
食い入るようにテレビを見ている自分がいた。
その店で売っているパンはたったの4種類。
早朝から夜遅くまでの働き方を見直した結果、家族との時間をちゃんと確保することができ、
売り上げも伸びているのだという。
…これだ。
このパン屋さんのような、暮らし方を選択すれば。
家族みんなで一緒にいられる時間をもてる。
毎日一緒に、ごはんを食べることができる。
子どもたちの成長を見ることもできるし、妻と一緒に子育てもできる。
ぼくがパン屋になるきっかけとなった朝のニュース番組。
大好きな夏という季節に、ぼくの人生を大きく変えることになった朝の数分。
「パン屋になろう」
flamme!の灯はここで、一回り大きな炎となったのだった。
